私がこの保健医療行動科学会と出会ったのは、昨年の12月だったと思います。編入学した大学の先生に紹介していただき、近畿支部の研究会に参加するようになったのがきっかけです。大学病院に勤務していた私は、患者さんの権利が擁護されない現代医療のあり方に疑問を抱いていました。ですが、ただ愚痴をこぼすばかりで何年間か過ごしました。そして、眼科病棟では糖尿病網膜症で視力を失い悲しむ患者さんが後をたたず、このままでは合併症を発症する患者さんは減らないと思い、予防や健康増進に関する知識を得ようと、思いきって進学しました。入学後、看護の講義がほとんどなかったこともあり充実感のない日々でした。そんななか研究会に参加し、やっと自分の探していたものに出会えたという気がしました。
6月に東京で開催された大会は「喪失と悲嘆の行動科学」という興味深いテーマでした。病院を退職する直前にある患者さんが亡くなられ、同室だった患者さんに「〜さんはどこへ行ったの」と聞かれ、「おうち」と答えたことがありました。その後「嘘つき、亡くなったんでしょ」と言ってその患者さんは泣き出されました。この時、同室者を亡くした患者さんの喪失感や悲嘆について目をそらしていたことに気がつき、グリーフケアについて考えるようになりました。そういうこともあってこの大会では得るものがたくさんありました。特に、「患者ライフにみる自己探求過程の質的調査研究」や「重症心身障害児・者の自己表現とQOL」、「配偶者との死別の悲嘆と癒し」といった質的研究の発表を聞いて患者さんや家族が体験している世界の一端を知ることができ、質的研究の重要性を感じました。そして、喪失や悲嘆の直中にいる患者さんや家族の「同伴者」として再び臨床に戻りたいと思いました。
最後に、私がこの学会の大会や研究会で感じる居心地のよさは、職種や学生、研究者といった枠組みを超えて、お互いを尊重しあう姿勢にあると思っています。近畿支部の研究会では、学生である私たちを一人の参加者として暖かく迎えてくださいますし、誰でも自由に参加しディスカッションできる雰囲気があります。存在を認められることがどんなに心強いことか研究会に参加して実感したように思います。来年から看護婦として臨床に戻るわけですが、患者さんが小さく見える今の医療を少しでも変えていけたらと思っています。そして、これからも研究会や学会に参加していきたいと思います。
私は、6月に東京で行われた日本保健医療行動科学会大会に初めて参加しました。神戸から東京へ週末1泊2日で学会の演題を聞きに行く…。病院で看護婦として3交替で働いている時には、休みの関係で、なかなかできそうでできないことであり、今年のプログラムを見て本当に週末に自由のきく学生でよかったと思いました。大学の友人3人での参加。若干1名朝寝坊をして、彼女は三ノ宮発伊丹空港行きの始発バスに乗れず、タクシーで空港まで乗りつけました(痛い出費!)。そして羽田空港から東京女子医大へ。東京のかってのわからない3人連れでしたが、それでもなんとか(少し遅刻はしましたが)会場の東京女子医大までたどりつけました。
私が今回一番興味をもっていたのは、長谷川先生の基調講演でした。現在の日本ではほとんどの人が病院で人生の最期の時を迎えます。家族にとって亡くなった人への愛情が強いほど、喪失の悲しみはもちろん深いのでしょうが、そのことに対しての援助やケアは日々の勤務のなかでは不十分でした。今回の講演のなかで、予期された喪失と予期されない喪失についての対比でお話がありました。予期された喪失のなかで、「見取りに手を尽くしたことの満足感」と言われてましたが、本当に家族にとっては、この満足感はなにものにもかえがたいものなんだと改めて感じることができました。来年4月の復職後、どのような病棟に配属になるかはわかりませんが、長谷川先生の講演だけでなく、悲嘆援助や癒しについてこの学会で得られたものが活用できるようにしていきたいと思います。
そして一般演題で印象的だったのは、梓川さんの「患者ライフにみる自己探求過程の質的調査研究」で、自らが患者であった経験を存分に生かされた研究内容とその発表でした。そして私自身が医療者として、これから勤務をしていくうえでの態度や心構えについて改めて考えさせられた内容でもありました。
今回の学会に参加して感じたのは、「本当にどのセッションでも活発に質疑応答がなされているのだなあ」ということでした。また、それができる雰囲気があるのだと思います。今回は学会に参加したといっても、ただ座って話を聞いて帰ったという状況ですが、次回の大阪での開催のときには、もう少し積極的に参加ができればと思います。